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お帰りなさい
宇宙が創造主の手を離れて数日が過ぎた。銀河連邦がその機能を失い実質消滅したことによって、反銀河連邦組織であるクォークもつい先日解散することになり、クリフの発案でマリアを始めとした若い構成員達は艦を降りることに決まる。
そして今、彼らを星間空港まで送り終えたイーグルがディプロに帰ってきた。
「随分、寂しくなったな・・・」
コクピットに入るなり、クリフは溜め息混じりに口を開いた。
「そうですね、今の私達だけではこの船は少し広過ぎるかもしれません」
「そいつぁ仕方ありやせんぜ。なんせウチの大将はこれでもかっていうくらい他人に甘いんすから」
機体のコンディションをチェックしながらランカーが言った台詞に、クリフは苦笑いをする。
「おいおい、それじゃ褒めてんのか貶してんのか分かんねえぞ」
「おや、両方のつもりだったんすけどね。おっと、ちょっとリバースエンジンの調子が悪いみたいなんでちょっくら行ってきますよ」
そう言い残してランカーはそそくさとコクピットを出ていった。
「ったく・・・おっと、そうのんびりはしてられねぇんだった」
クリフは手元のパネルを弄ると、モニタに表示された山の様なメールに顔をしかめる。
「こりゃ目を通すだけで一苦労だな・・・ミラージュにも働いてもらわねぇと・・・」
その時、隣でモニタを見つめたまま動かなくなっているミラージュがクリフの目に入ってきた。
「どうしたミラージュ」
「あ・・・いえ、ちょっと実家からメールが来てましたので・・・」
「お、実家からって事はおやっさんからか?で、何だって?」
「・・・父が、倒れたそうです」
ミラージュの言葉を聞いて、今度はクリフの動きが止まる。
「な・・・倒れたって、あのおやっさんがか!?まさか・・・」
「そのまさか、みたいですね。詳しい事までは書いていませんが、病状が芳しくないからすぐに帰ってくるようにとも」
「・・・そいつは、確かに喜ばしい話じゃねぇな・・・こっからクラウストロまでってなると、一週間くらいか?」
「そうですね、とりあえず手元に残っている仕事をある程度済ませてから航路を検索しましょう」
「ん、あぁそうだな。さて、向こう一週間用事が入ってなきゃいいんだがな・・・」
そう言ってクリフは自分宛に来たメールを開き始めた。
しばらくして、クリフは首を鳴らしたり肩を回したりしながら大きく伸びをした。
「かぁ〜ったく、目に悪いぜ。そっちはどうだ、ミラージュ」
「はい、各計器の動作確認と微調整が終了しました。残っている調整が必要な箇所はランカーに伝えておきましたから、後はこの一件のまとめた報告書を書かなくてはいけませんね。そっちはどうでしたか?クリフ」
「もうウンザリするほどラブレターで一杯だぜ。もう幸せ一杯ってやつだな」
「フフ、モテモテですねクリフ」
「ジジイ連中にモテたって全然嬉しかぁねぇぜ、全くよ・・・」
しかしそう言ったっきり、クリフは黙り込む。クリフのその様子を見て、ミラージュも少し顔を曇らせた。
「やっぱり、ダメでしたか・・・」
「あぁ、とても一週間もお暇を貰えそうにはねぇな・・・」
クリフは苦い顔をして、目の前のパネルに拳を落とした。
ダンッ、と音がしてモニタが僅かにぶれる。
「済まねぇな、どうやら一緒には帰れねぇみてぇだ」
「・・・分かりました、それではここから一番近い距離にある星間空港を有する惑星を検索、確認の後そこへ向けて進路をとります」
「そういや、さっきの空港からはもう出てないのか?」
「はい、次の便は翌日になります」
「そうか、それなら待ってる間にでもクラウストロに近い星に行った方が早く着くか・・・。あぁミラージュ、それが済んだら自分の支度を済ませとけよ。何処になるかは分からねぇが、一日もありゃ着くだろうからな」
しかしミラージュは、キーに手を置いたままじっとしていた。
「ミラージュ?」
「・・・いえ、何でもありません」
ミラージュはそのまま、目的地を探してキーを叩き始めたのだった。
『報告書はきちんと纏まりましたか、クリフ』
自室に帰って報告書を書いていたクリフは、ホンからの声を聞いて部屋の扉を開けた。
部屋に入ってきたミラージュは、いつも結っている髪を下ろしていた。
服装も上は半袖のシャツに下は短パンと、彼女らしい格好ではあったが、夜、男の部屋に一人で来るには余りに無防備な姿だ。
それでも、当のミラージュが気にしていないようなので、クリフもとりあえず気にしないように努めた。
「ご想像に任せるぜ。お前の方はどうなんだ、もう出立の準備は済んだのか?」
「えぇ、私物は全てボックスに入れてイーグルまで運んでおきました。後は時間になるのを待つだけです」
「そうか・・・」
クリフは報告書を睨んだまま黙りこくった。
「クリフ、今日の仕事はこれが最後ですか?」
「ん?あぁ、そうだ。今はまだそんなに忙しくないからな」
「では、報告書の残りは私にやらせて貰えませんか。これで、最後ですし」
そう申し出たミラージュの顔を、クリフはじっと見つめた。
「・・・やっぱり、もう戻ってはこないのか」
「恐らく父はもう、道場に立つ事はかなわないでしょう。父は貴方が後を継いでくれる事を望んでいましたが・・・」
「現状じゃそれも無理、だな・・・」
「ですから、私が後を継ぐしかないんですよ」
そう言ったミラージュは、心なしか少し寂しそうだった。
「・・・まぁ、俺よりお前が継いだ方が案外、道場も安泰かもしれねぇしな」
「あら、それはどういう意味でしょうかクリフ」
「いや、別に大した意味じゃねぇよ・・・それじゃあ、仕事はミラージュに任せて一休みするとするか」
そう言ってクリフは今日何度目かの背伸びをした。
ミラージュはデスクの上の書類に目を通す。
「なんだかんだ言って、大体出来ているんですね。すぐに終わると思いますから、私が仕上げている間にお風呂にでも入っていて下さい」
「ん、そうか・・・じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ」
そう言うとクリフは部屋のバスルームに入っていった。
それを見届けると、ミラージュもディプロ最後の仕事に取り掛かった。
クリフが入浴を終えてバスルームから出てくると、ミラージュはベッドに座って、両手で包むように持った何かを見つめていた。
「そんなに真剣になって何見てんだ?」
ミラージュの両手の中には、平べったい、手のひらサイズのホログラファがあった。
まるで大昔に流行った円盤UFOのようなそれの上に、半透明の四人の人影が浮かび上がっている。
「クリフ、遅かったですね。のぼせてないかと心配しましたよ」
クリフもミラージュの隣に腰を下ろした。
「ちょっと色々考え事しててな。それにしても、また懐かしいモンを引っ張り出してきたな」
「部屋を片付けていたら出てきました。私も見るのは久しぶりです」
ホログラファから映し出された四人は、まるで生きているようで、身動き一つとらない。
一人は体格の良い、いかにも豪快そうな初老の男性。その隣には、元気を持て余しているのが見て取れるような、ツンツン頭の青年。青年の反対側にはとても優しそうな女性と、その足元に恥ずかしそうにして隠れている年端のいかない少女。
「もう懐かし過ぎて何で撮ったか分かんねぇな」
クリフはミラージュからその円盤を受け取ると、目を細めて半透明の四人を見る。
「そういや、お前も昔はこんな可愛い時があったんだな」
クリフはいたずら小僧の様な笑みを浮かべながら、母親の足に隠れた少女を指差して言った。
「あら、随分な言い様ですね。それならクリフは、昔から相変わらずに無鉄砲で、カンに頼ってばっかりで、落ち着きもありませんね。もういい年なんですから、もう少し落ち着きをもったらどうなんですか?」
「・・・言うねぇおい・・・」
つーんとすました顔のミラージュに、クリフは苦笑を浮かべるしかなかった。
「はー、ホントに信じらんねぇぜ。あんなにちっこくて可愛いかった娘がこんな・・・」
言いかけて、クリフの言葉が途切れる。
「こんな、何ですか?」
「なんでも無ぇよ」
「言ってくれないと気になります」
クリフは決まり悪そうにを向こうを向くと、しばらくしてもぞもぞと口を動かした。
「・・・こんな・・・いい女になるなんてよ」
一瞬きょとんとしたミラージュは、やがてクスクスと笑い始めた。
「フフ、褒めたって何も出ませんよ」
「おいおい、冗談で言ってるんじゃないぜ?」
「はい、そういう事にしておきます」
クリフはムスッとしたが、相変わらず笑ってばかりだったミラージュから目を離せなかった。
シャワーを浴びてきていたのだろう、背中の真ん中辺りまで伸びたミラージュの髪は、まだしっとりと濡れていて、顔の化粧も落とされていた。
彼女の、紅の付いていない桜色をした唇に、クリフの心はどうしようもなくざわつく。
首元からその姿を覗かせている首筋や鎖骨も、やけに扇情的だった。
「クリフ?」
「ん、いや・・・何でもねぇ・・・」
クリフはそう言って腰を持ち上げると、いくらか軽い調子で口を開いた。
「それにしてもお前が居なくなるなんてな。何か話が急過ぎてよ、全然実感が沸かねぇぜ」
「私を止めますか?クリフが止めるなら、私はここに残りますよ」
「・・・いや、止めねぇよ。俺に、お前を止める権利なんて無いだろ?」
その言葉を聞くと、ミラージュはクリフの前に立って穏やかに微笑んだ。
「そう言うと思ってました。その気持ちだけで十分ですよ、ありがとう、クリフ・・・」
ミラージュが言い終わる前に、クリフは彼女を思わず抱きしめていた。
今までにない位にしっかりと、そして優しく抱きしめていた。
ミラージュも、クリフの胸に体を預けると、彼の腕の中で瞼を閉じた。彼の腕から伝わってくる力が、とても心地よかった。
「なぁ、ミラージュ」
「はい」
「今晩、一緒に居ても良いか・・・?」
「フフ、しばらくの間にまた随分と優しくなりましたね、クリフ」
顔を起こしたミラージュの顔が、クリフの瞳に映し出された。
「いつもの貴方はもっと強引でしたよ」
ミラージュの言葉にクリフは苦笑する。
そして二人の唇が重なった。
空港のロビーで、二人は背中を合わせて座っていた。
「そろそろ行かないと間に合いませんね。それじゃあ、クリフ」
クラウストロ行きの船の案内放送が流れ、ミラージュは立ち上がった。クリフもそれに続いて腰を上げる。
「悪ぃな。本当なら、俺も一緒に戻りたかったんだが・・・、どうもそうは言ってられねぇみたいでよ」
「いいんですよ、クリフのそういうところが、私は好きなんですから」
「済まねぇ・・・」
クリフのセリフに、ミラージュは首を横に振る。
「ほら、また。もっと気楽に構えていて下さい。別に今生の別れというわけではないんですから」
「そりゃ・・・そうだがな」
「じゃあ、行きますね」
「・・・あぁ」
そしてミラージュは、向きを変えるとゲートの方に歩いていった。
そしてクリフは、彼女の背中が見えなくなるまでその場に立っていた。
輸送船の客室で、ミラージュは手の中のホログラファを見つめていた。
表立った争いが無いとは言っても、クリフの背負った役目がそれほど生易しくないという事は分かっているつもりだった。
統治者の居ない政界という荒波の真っ只中にいる限り、命を落とす危険も付きまとうだろう。
さっきはあんな事を言ったけれど、もしかしたらもう二度と会えないかもしれない。
その可能性は決して低くはない。
ミラージュの目に、歯を見せて笑う若き日のクリフが映る。
彼と共に生きると決めてから、今まで以上に鍛錬に励んだ。
彼の隣に居るに相応しい強さを身につけるために。
彼と共に生きると決めてから、なるだけ感情を内に留めて、冷静になるよう努めてきた。
彼の能力を常に十分に引き出せるように。
彼と共に生きると決めた時、涙を二度と流さぬくらい、強くあろうとも心に決めた。
彼の隣でいつも微笑んでいられるように。
それなのに
それなのに貴方は
貴方は・・・
「貴方は・・・今までの私の努力を簡単に、飛び越えてしまうんですね・・・」
そう呟いたミラージュの頬には、ずっと昔に捨てた筈の涙が光っていた。
ミラージュがディプロから去って数年が経ち、彼女は父親の後を継いで何人もの生徒を教えていた。
あれから彼女がクリフの話を耳にする事は無かった。
理由はいくらでも考えられるが、どうやら一般の人々に対してはそもそも今回の一件に対して、連邦政府が機能していないのを良いことに、情報が伝わりきっていないようだった。
ミラージュも、自らクリフを探すような事はしなかった。自分に出来る事は、彼の無事を願い続ける事だけだと思っていたから。
幾つもの掛け声が響く道場には、傾いた日の光を受けて長い影が幾つも交わっていた。
「はい、今日はこれまで!」
稽古を続けていた門下生達に終了の指示を出すと、ミラージュは誰も居なくなった道場にしばらく正座をしていた。
自分が幼い時から変わらないこの空間。否応無しに、過去の記憶が頭の中を巡る。
人が居なくなってからも稽古を続けていた自分の事を、彼は半分冷やかしながらではあったが、いつも応援してくれていた。
現実はそうでなくても、ここに居れば彼を近くに感じることが出来た。
心の弱さを突きつけられているような気がすることも度々あった。それでも自分は、毎日こうして彼の事を考えている。
ミラージュは小さく溜め息をついて立ち上がると、表へ出た。
先程まで赤く染まっていた空は既に闇を纏い始めて、頭上にはキラキラと星が瞬いている。あの星々の間を彼は今も駆けているのだろう。
自分に出来る事は、彼の無事を祈り続ける事。そして、いつか彼が帰ってきた時に、言ってあげる事。
「悪ぃな、遅くなっちまってよ」
「いえ・・・」
お帰りなさい、クリフ
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